ヤマモトレーシング物語|VF750Fでデイトナ参戦

ヤマモトレーシング物語|VF750Fでデイトナ参戦

 《行ってみたかったんや》

1984年にはアメリカで人気のAMAスーパーバイク・デイトナ100マイルレースにVF750Fで挑んだ。

参戦理由はただひとつ。

「デイトナに行ってみたかったんや」

雑誌で見たり、レース仲間から聞いたりするうちに、アメリカで走りたいという夢が膨らみ、いてもたってもいられなくなったのである。

1984 デイトナ VF750F

実は、前年の鈴鹿8耐でお客さんからVF750Fのマシン作りを頼まれ、アルミ角パイプのオリジナルフレームを製作していたことも心強かった。90度V4エンジンのメカニズムにも心が躍った。

VFR750F(STDフレーム)

↑VF750F(ノーマルフレーム)

VF750F(オリジナルフレーム)

↑VF750F(オリジナルフレーム)

当時主流だった空冷直4のCB-F系やZ系のエンジンに比べると(1983年の鈴鹿8耐は参加車の3分の1がこのどちらかのエンジンだった)、水冷90度V4はスリムで現代的な設計。デイトナ遠征費をサポートしてくれる人がいたことも手伝って、VF750Fでアメリカを目指したのだ。

実は、直前になって、スポンサードの話は立ち消えになってしまったが……

「みんなに行くって言っちゃったし、行ってみたかったんで、売れるものはすべて売って資金を作った」

1984 VF750F

↑当時のファクトリー。

初参戦の感想は?

「大変だったけど、面白かったね。ロサンゼルスからデイトナ・インターナショナル・スピードウェイまで、VFを積んで片道4100km走るのが、いちばんしんどかった」

バイクは船便でロングビーチに送っておき、チームは飛行機でロサンゼルス入り。開梱してバイクを組み立て、借りてきたモーターホームに積んで、フロリダを往復した。

レースは完走したものの、順位は下のほう。山本英人は、日本から同行したスタッフの急病に対応していて、レースをほとんど見ていない。初めてのデイトナは、期待していたのとは逆の意味で、一生忘れられない記憶になったのだ。

1984 VF750F デイトナ参戦

 *

その雪辱と社員旅行を兼ねて、デイトナ100マイルに再チャレンジしたのは1992年。ツーブラザーズレーシングから借りたCBR600Fを、前田淳(*8)選手が駆り、プライベーター最上位を獲得した。表彰台まであと一歩! 悔しくないと言ったら嘘になるが、8年前の借りは十分に返した。

(*8)前田淳選手=1990-1992年にヤマモトレーシングから全日本TT-F1参戦。1997年、2003-2005年マン島TTで目覚ましい戦績を残した。2006年マン島TT中のアクシデントで永眠。

 

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