ヤマモトレーシング物語|4ミニを極める
《リッター200psをたたき出す》
鈴鹿Mini-Moto 4時間耐久レースが始まったのは2005年。改造範囲の広いOPENクラスでは、エンジンを壊すチームが多いという話を耳にして、山本英人の好奇心がむくむくと湧きあがった。
「ほんなら、ウチで4バルブをやってみようか……ということになってなぁ。ちょうどポートを削ってみたい、燃焼室の勉強をしてみたいと思っとったから、シリンダーヘッドもピストンもカムもぜんぶ内作で始めたんや」
こうしてホンダApe100(*24)のエンジンチューニングに没頭する日々が続いた。
(*24)Ape100=空冷4スト単気筒SOHC2バルブ・99cc・7ps・2002年~
特に性能を左右したのはポート形状だった。その内部の空気の流れは計測も計算もできない。バルブの寄せ方や角度との兼ね合いもあって、一筋縄ではいかないのだ。
一歩間違うと、まったくパワーが出なくなってしまって「ほんまに勉強になったわ」。単気筒で排気量が小さいから、良し悪しがすぐにわかるのも、面白かった。
ピストンもたくさん試作した。圧縮比は? バルブリセスの形状は? スキッシュエリアは? こうしてたどり着いたのが、4輪のF1エンジンと同様の凹型ピストン頭頂部。1万5000rpm近く回しても、20ps近く出しても壊れなかったから、ピストン製作の自信も深まった。
ただし、リッター換算200psが見えてきたところで、ボールベアリング支持のクランクやクランクケースが根を上げ始めたのだ。エンジンの腰下まで作るとなると、コストも手間も膨大になることから、開発はここで断念。それでも、山本英人は満足だった。
実はこのエンジン、試みそのものが面白かったうえに、乗ると本当に速くて楽しかったので、多くのバイク雑誌がプロジェクト初期から取材を重ねた。そのうちに大手自動車メーカーから、燃焼室の開発に関するオファーが届いた。
4輪/2輪業界を見回しても、ポートから燃焼室、マフラーまで含めて、自社でここまで試行錯誤しながら理想を追求できる会社はない。そこを見込んでの開発依頼だった。
しかし……
「こっちのやりたい仕事だったら楽しいけど、向こうが思う仕事をするのはしんどいから、お断りさせてもらったわ」
実に山本英人らしいエピソードだ。
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